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2009年10月12日

ヤンバル歌碑めぐり

ヤンバル琉歌の碑を巡る10箇所
ヤンバル歌碑めぐり
琉歌の代表作“かぎやで風節”を何十回と聞いただろうか、小さな祝いの場から大祝宴まで儀式の曲として意味も解せずに聞き流していた。

サンシンを通して琉球古典芸能に触れるとサンパチロクの韻をふむ琉歌に興味を持つようになった。「各地で歌われてきた歌が首里士族の手によって節歌として整えられ古典音楽として伝承されるようになった」と云う。

琉歌の源流は豊かな自然に囲まれたヤンバル(地方)にあるのだ。一度は行ってみたい歌碑巡りだった。湛水流伝統保存会師範の山内秀吉先生の案内で巡る機会(9/26)を得た。

1.万座毛(まんざもう)
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恩名ナベの歌碑は、万座毛売店手前の草木に囲まれ建っている。売店には“ようこそ琉歌の里、恩名村へ”と書いてある。琉歌の歌人と聞かれて“恩名ナベ”しか答えられない人も多い。ここは恩名ナベの故郷、毎年琉歌大賞が選考される琉歌の里である。

『波の声もとまれ風の声もとまれ 首里天がなしみおんき拝ま』
 ♪ ナミヌクィントゥマリ カジヌクィントゥマリ
       シュイティンガナシ ミウンチウガマ ♪

波の声も止まれ、風の声も止まれ、首里王君のご機嫌をうかがいましょう。

2.恩納節の碑(うんなぶし)
ヤンバル歌碑めぐり
万座毛から58号線を那覇向けに少し移動すると恩名村役場。その前の信号を反対側に渡り、恩名公民館の裏手に恩名節の碑が建っている。琉球松が日陰をつくり涼しげに東方に恩名岳、あれが恩名岳。

『恩納松下に禁止の牌のたちゆす 恋忍ぶまでの禁止やないさめ 』
 ♪ ウンナマツィシタニ チジヌフェヌタチユシ
        クイシヌブマディヌ チジヤネサミ ♪

恩納村の松の木の下に、禁止の立て札が立ったようだが、男女の恋い忍ぶことまで禁ずるような事はないでしょうね。

3.伊差川世瑞の碑(いさがわせいずい)
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名護市内に入り58号線から城十字路を北部病院向けに北上、旧道を通り字伊差川へ、名護市伊佐川公民館内に伊差川世瑞顕彰歌碑が建っている。

『歌の道ひろく世界に輝やかち 伊差川の流れいく代までむ』
 ♪ ウタヌミチヒルク シケニカガヤカチ
      イザシチャヌナガリ イチユマディン ♪

野村流音楽協会の第七代会長西島宗二郎(1982年死去)が詠んだ琉歌の歌碑が銅像のそばに建っている。古典音楽の楽譜『工工四』に声楽の楽譜を付し世界に広く普及することが可能になった。伊差川のながれとは“琉球古典音楽”をさらに広く世界のすみずみまでという流れであろうか。

伊差川世瑞(1872~1937)那覇市久米に生まれる。1907年(明治40年)、39歳で桑江良真の門下。1924年(大正13年)に野村流音楽協会初代会長に就任。世礼国男と「声楽譜附野村流工工四」を編纂。

4.ふるさとの碑
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屋我地島に渡る入口が真喜屋信号、数百m北に進むと稲嶺の信号。信号近く大山商店の向かいにある。ふる里之碑

『名護からや羽地伊差川や一里 真喜屋兼久までや二里のつもり』
 ♪ ナグカラヤハニジ イジャシチャヤイチリ
      マジヤカニクマディン ニリヌチムイ ♪

名護城あたりから伊佐川までは一里、真喜屋兼久までは二里くらいの距離であろうか。現在のように整備されてない道を野を越え山を越え二里ほど歩いて何をしに行き戻りしたんでしょう。“やんばるナークニー”の一節として唄われている。Youtubeの動画サイトには32件のナークニーがupされている。サンシンを手にした人達の目標曲の一つになっている。

5.平敷節の碑(ふぃしちぶし)
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名護市稲嶺から2km北上すると源河の信号。右手に見える源河小学校を右折。たばる橋を渡って右折。平敷節の歌碑は公民館から1キロメートルくらい上流の川のほとりに建っている。地元ではは源河節の碑(じんかぶしのひ)と呼ぶのが普通のようだ。

『源河走川や潮か湯か水か 源河めやらべたがおすでどころ』
 ♪ ジンカハイカワヤ ウシュカユカミジィカ
     ジンカミヤラビタガ ウスィディドゥクル ♪

源河の走川は潮であろうか“よか水”であろうか。源河の乙女達が水浴びして美しく生まれかわる所である。平敷大主が詠んだので平敷節、“湯か水か”は“よか水か”の当て字ではないか、と云うのが山内先生の説であった。

6.辺野喜節の碑(びぬちぶし)
ヤンバル歌碑めぐり
源河から北上する。塩屋大橋を渡り、沖縄本島北限の高校である辺士名高校、芭蕉布の里喜如嘉を過ぎ“道の駅ゆいゆい国頭”で昼食。休憩の後さらに20kmも北上するであろうか58号線沿い辺野喜入口の橋を渡ってすぐ右手に辺野喜節の碑が建っている。

『伊集の木の花やあんきよらさ咲きゆり わぬも伊集やとて真白咲かな』
 ♪ ンジュヌキヌハナヤ アンチュラササチュイ
       ワヌンンジュヤトゥティ マシラサカナ ♪

伊集の木の花はあんなにきれいに咲いている。わたしも伊集の花のように真白に美しく咲きたい。

7.謝敷節の碑(じゃじちぶしのひ)
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辺野喜入口から那覇向けに5kmほど戻る佐手を過ぎると謝敷である。58号線沿い国道と旧道の交わるところにフクギの木が数本見え、謝敷節の歌碑が建っている。

『謝敷いたびせにうちやりひく波の 謝敷みやらべのめ笑れはぐき』
 ♪ ジャジチイタビシニ ウチャイフィクナミヌ
        ジャジチミヤラビヌ ミワレハグチ ♪

謝敷板干瀬に寄せては返す白波は、謝敷乙女のこぼれるような笑顔の歯並みのようだ。
謝敷海岸をながめると板干瀬(ビーチロック)に打ち返す白い波を見ることができた。歌に詠まれた真っ白な歯並びのようだった。これを見れただけでも大満足である。

8.与那節の碑(よなぶし)
ヤンバル歌碑めぐり
謝敷海岸を南下すると新与那トンネルが見えてくると字与那である。58号線沿いの左手に少し小高いところに与那節の歌碑が建っている。

『与那の高ひらや汗はてど登る 無蔵に思なせば車たうばる』
 ♪ ユナヌタカヒラヤ アシハティドゥヌブル
       ンゾニウミナシバ クルマトゥバル ♪

与那の坂道は汗を流して登る険しい坂道だが愛しい人を思いながら行くと荷押し車でも平気で通れるそんな坂道に思える。

9.安波節の碑(あはぶし)
ヤンバル歌碑めぐり
与那から安波へ県道2号線で横断する。国頭東線に抜けると安波の集落である。安波川と普久川の合流するあたり安波節の碑が建っている。“安波の祝女殿内”に行くには橋を渡り山道を登って行くようだ。そこに“本物”の安波節の歌碑があると聞いた。次の機会にぜひ立ち寄ってみたい。

『安波の真はんたや肝すがれ所 宇久の松下やねなしところ』
 ♪ アハヌマハンタヤ チムスィガリドゥクル
       ウクヌマツィシタヤニナシドゥクル ♪

安波の真ハンタは夕涼みどころ、宇久の松下は共に寝るところ(恋するところ)。

10.二見情話の碑(ふたみじょうわ)
ヤンバル歌碑めぐり
国頭東線を南下する。東村の高江で米軍ヘリパッドの反対運動をしている方々にエールをおくり・・・“村民の森つつじエコパーク”を過ぎると国道331号線につながる。

名護市に入り天仁屋の琉球松を見ながら331号線を南下”汀間と安部境の河の下ぬ”カヌチャベイを通り過ぎると太平洋に面した大浦湾が広がる。目の前のそこに辺野古崎が見える(豊かな自然を破壊する新基地を絶対に造らせない)。

今回の歌碑めぐり最終地点である二見コミュニティセンターに着いた。敷地内に二見情話の歌碑が建っている。

二見情話(作詞作曲:照屋朝敏)
♪♪
1.二見女童やだんじゅ胆清らさ 海山ぬ眺み余所に勝さてヨ
2.二見村嫁やないぶしゃやあしが 辺野古崎坂ぬ上い下いヨ
3.待ちかにて居たる首里上いやしが出発ちゃる際や別りぐりさヨ
4.行かい行じ来よと交すいくとばや ぬがし胆内に思い残ちヨ
5.戦場ぬ哀り何時が忘りゆら 忘りがたなさや花ぬ二見よ

♪♪
二見の娘は本当に心が美しい 海山の眺めもすばらしい
二見村の嫁になりたけれど 辺野古崎の坂の上り下りの辛さよ
待ちかねていた首里上りだけど 旅立つ際の別れの辛さよ
行ってくるよと交わす言葉は なぜか心の中に想いが残るよ
戦場の悲しさはいつかは忘れられるが 忘れがたい花の二見よ
♪♪
山内先生の音頭で“二見情話”の大合唱して今回の歌碑めぐりを終えた。



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Posted by ヒラミン at 12:28│Comments(0)サンシンヒチャー
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